“ボートレスキューが「必要ない」根浜を目指して”
千葉県出身で祖父母宅があったという岩手県山田町に幼い頃何度も訪れていたという廣田さん。震災後は根浜にある旅館「宝来館」でスタッフとして働きながら、幼い頃遊んだ根浜海岸の復活を目指すため根浜MINDの一員として活動されています。
被災前の根浜海岸に思い出を持つ一人である廣田さんは、今の根浜にどのような思いを持って活動に望んでいるのでしょうか?廣田さんの秘めたる思いに迫ります。
Q1:
初めに、千葉県出身である廣田さんが釜石に来た経緯と根浜MIND加入の背景を教えてください。
幼い頃から夏休みには、祖父母のいる山田町や、山田町からも比較的近い根浜の海岸にも遊びに来ていました。当時から、幼心に三陸の地域が「すごくいいところだな」と感じる一方で、すごく謙虚というか、アピール不足というか、外にはまだ発信しきれてない岩手の魅力がたくさんあり、もっと外に向けて伝えていくべきだなとも感じていました。
そして、東日本大震災を機に岩手・三陸への移住を決心したものの、当時は山田町では賃貸住宅がなかったこともあり、親戚が住んでいた釜石に住むようになりました。
被災後の当時の根浜は、外からきた自分には、他の被災地域よりも前を向いていたように感じました。震災によって失われてものが大きかったが、後ろを見るだけでなく「地域の先を見ていた」ともいうのでしょうか。そんな住民の皆さんと一緒に、幼い頃見ていたような、人が集まってくる根浜海岸を取り戻したいと思い、根浜MINDの活動にも参加するようになりました。
Q2:
現在根浜MINDの一員としてレスキューボート事業を中心に活動されていますが、どのような思いを持って活動されていますか。
廣田さん:
幼い頃に根浜や山田、大槌の海岸で遊んだ記憶があるのですが、当時は子供だったので何も気にしていませんでしたが、このプロジェクトに関わりはじめたことをきっかけに、当たり前に安全に海で遊べていたことは、見えないところで誰か安全を守ってくれていたおかげだったと気づかされました。
今は海に入って遊ぶ年齢では無いからこそ、今度は自分たちがここで安心・安全で遊べる海っていうのを作る役割なのかなと思いで取り組んでいます。
私がこの活動を通して最終的に目指したいのは、「水難救助がいらない地域」です。
この海で遊ぶみんなが海や自然のことを正しく理解し、事故が起こらない海にしたいです。
でもその裏では万が一の有事の際にすぐに駆けつけられるように、この地域の海についてよく知っている漁師さん達と地域住民とが一緒になって、日頃から水難救助のトレーニングを積んでいる。
そして「ウェールズ号(救命艇)」がこの地域の人に愛され、海の一部として救命艇が存在している地域を作っていきたいと思っています。
Q3:
根浜MINDの一員として活動していてよかったと思えるエピソードを教えてください。
廣田さん:
地域住民主体のボートレスキューの活動は、基本的には海が好きな人、海に関わることをしている人が集まって活動をしていますが、全く違う国や地域へ行っても海が好きな人には同じような話が通じます。海を愛する人、安全な海にするための活動をする人、地域や立場の違いを超えて話せる「共通言語」を得たとでもいうのでしょうか。
その「共通言語」があるからこそ、英語を話す人が少ない根浜地域でも、多くの外国人が何度も通い続けてくれるし、「共通言語」を得たおかげで、出会う人の幅が広がりましたね。
レスキューボードに乗る廣田さん[左手前]
Q4:
今後、根浜MINDとしてはどう成長していきたいとお考えですか。
廣田さん:
根浜MINDとしては、まず「核」となる事業を確立させることが大事だと考えています。
現状では職員全員が助け合って事業に取り組んでいるような状態ですが、私の考えとしては、一人ひとりの職員がより専門性を持って事業を担当できるようになることも大切だと思っています。そして、事業のどれか1つだけでも、少数の担当メンバーだけで自立して回していけるような、根浜MINDにとって安定した大黒柱のような存在となりうる事業を作りあげたいですね。
個人的には、特にボートレスキュー活動に関しては、地域に必要なものとして存在して欲しいので、いずれはこの活動を担ってくれるメンバーに託し、地域と一体になり、ゆくゆくは根浜MINDから卒業していってくれると良いなとも思いますね。
最後に:
これから釜石や根浜について知る皆さんへメッセージをお願いします!
廣田さん:
根浜は、自然も豊かで、人も優しく、美味しいものもたくさんあり、ここにしかない三陸の風景が多様な「色」を見せてくれる地域です。皆さんがまだ出会ったことのない「色」を見せてくれる根浜に、ぜひ足を運んでみてください!